MASA@白血病→記憶障害

61歳で白血病になった。

新しい一日に感謝

 朝六時過ぎ、睡眠から目が覚め、自宅ベッドに横になりながら、この自分は深い呼吸をひとつします。私は今朝も生きている、本当にありがたいこと、この自分の命が繋がっている事実を再確認をしています。

 健康な人でしたら、誰にとりましても、朝、ベッドから起き上がり、歯磨きをして顔を洗うことなど、一日の始まりの行動としては、ごく普通のことに違いありません。新しい一日に、この命が繋がっている確認を改めてする必要などありません。健康体であれば、朝に目を覚まし、次の瞬間に生きていることの再確認することなどありませんから。

 しかし、リンパ性白血病に罹り、あともう少しのところで、あの世に行ってしまったかもしれない、そんな私の場合では、まったく事情が違います。八ケ月間の治療入院を終え、自宅に戻ったのが、つい3ケ月前のこと。毎朝、ベッドから起き上がり、洗面台の鏡に映る自分の顔に向かい、笑顔の挨拶をします。

 "今日も生きているね、ありがとう"

 この自分の命があることに心から感謝しないではいられません。

 このように、一時期、一年近くの間、私は死と隣り合わせの状況にありました。ですから、生きている心地は少しもありませんでした。記憶障害により、その日の数時間前の出来事を覚えていないのですから、まったくがっかりです。ひとつひとつの行動をノートなどに時系列で書き付けない限り、自分の記憶はまったく当てになりませんでした。

 夜、就寝の前に、その一日を振り返りますが、メモ書きを見ないことには、その日に何をやったのか、まったく思い出すことができませんから、これまた始末に終えません。

 このような残念な症状を知ることは、自分として悔しくもあり、また自分の記憶力の無さには絶望的になります。自分の病気は、そこまで深刻なものであることをはっきりと知らされます。この自分の身体がそんなに悪くなるはずはない、との自分自身の楽観的で勝手な思い込みを一瞬にして打ち砕く、この現実の病状を受け入れなければなりませんでした。

 半日前にどんなことをしたのか、そんな事柄すら覚えていません。それほど弱まってしまった記憶力ですから、闘病期間中の内容を文字として書き付けておくようにしました。物忘れの度合いが悪化し続け、記憶能力は無いに等しいレベルになってしまっていましたから。

 ですから、自分自身の日々の行動をしっかりと書いておくようにと、妻からのアドバイスがありました。はじめのうちは、自分の記憶能力の欠如を受け入れることはできませんでした。彼女の言い分に渋々従っていましたが、文字として書き残しておくことの大切さは否定できませんでした。あの日、あの時に自分が何をしていたのか、メモ書きで再確認ができます。記憶能力に支障がある身ですから、文字に書き残された内容が唯一の行動記録となり、また、後になって、自分の書いたものを読み返して、ああ、そうだったのかと、後日、記憶の掘り起こしが可能になります。